それでも、今日は無駄じゃない!

今日しか書けないことってあるんじゃないかなと思う。

はじめて考えるときのように 「わかる」ための哲学的道案内

"揺さぶられる"本です。

あなたの、考える力を。

うん、こんな表現がふさわしいと思う。

 

哲学的道案内と書いてあるから、

私は哲学とか全く詳しくないけれども、、

と思いながら読んだ。

 

これを1冊読んだからって

哲学どうこう言えるわけではないけど、

他とは違う、こう自分の内側に語りかけられているような感じ。

聞かれているような感じがする本でした。

 

それで1つ、本当にそうだよなぁって思ったのが、

”論理的=考える”ってことではないということ。

 

論理的思考とか論理的に考える、とか聞きますよね。

で、私も何の疑問も持たずにそれを受け入れてた。

 

しかし!

 

論理は問題を解くときに欠かせないけれど、

それは=(イコール)考えるではないということ。

問題に合わせて、観察や論理をつなげたり、

捨てたり、選び取ったりしていくことで、

「考える」作業になっている。

 

つまりね、

論理的な推論や計算は、考えることではないってことです。

 

だから、

コンピューターが1万倍の速さで超難解な計算ができても、

それは”考える”ことではない。

 

じゃぁ、何が考えているってことなの?

考える上で大事なことってなんなんだ?

 

それは、

自分でうんうん悩みながら、

これはどうかな?あれはどうかな?って

切り取ったり、選んだり、するんだけども、

それを何のためにしているのか、をわかっていることが大事なんだと。

 

コンピューターは、

言われたことは光の速さで正確にやってくれるけど、

「イッタイワタシハコレヲナンノタメニヤッテイルノカ?」

は考えられない。今はまだね。

 

これができるようになったら、

人工知能と恋をするようになる日が近いかもと思ったり。

 

 

 

この前、ある有名なテクノロジーの会社の

かなり偉い人から聞いたんだけど、

複雑な計算やプログラミングは人工知能が得意やね、と。

 

でも、

うちの競合他社は一体だれだろって

定義したり、範囲を決めたりするのは

できないかなって言ってました。

 

競合他社と比較した数値は出せるかもしれないけど、

これを何のために出してるんだろう?

この数値ではA社に勝ってるけど、

この数値ではB社に負けてるな。

うちは何を目指していて、だから、

どの会社にどこで勝ちたいんだろう。

 

こういうこととか考えないと、

競合他社の範囲を決めるのは難しいので、

人工知能にはできないのかな。まだ今はね。

はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫)