それでも、今日は無駄じゃない!

今日しか書けないことってあるんじゃないかなと思う。

幸せになる勇気

有名なアドラーシリーズ。

読んで気づいたことを書いておきたい。

 

私はとことん自分の価値を高めないように行動している。
 
可愛い、美人という言葉を受け取らない。
あらゆることにお金をかけない。
可愛い服を着ない。
 
自分で自分の価値を高めない方法を選んでいるのだ。
なんでだろう?
もう価値はないという思いは手放していいのに。
 
私の価値を自らが決定すること、
普通であることの勇気が足りない。
 
ありのままでいい、
特別な存在にならずとも、
優れていなくてもいい。
 
平凡な自分を「その他大勢」としての自分を受け入れる勇気が必要。
 
 
 
 
先に信じること
 
自分が語りかける相手を信じること。
私を信じてほしいなら先にあなたを信じる。
 
自らを好きになることができていないと、
他者を信じることができず交友の関係に踏み出せない。
 
本当の所属感を得るためには、
信頼を寄せて交友の関係に踏み出すこと。
 
まずは目の前の人に信頼を寄せよう。
与えよ、さらば与えられん!
 
 
愛する技術
 
「落ちる愛」とは何か?
欲しかったものも実際に手に入れると飽きてしまう
これは獲得し、所有し、征服したかっただけで、
物欲となんら変わらない。
 
愛とは二人で成し遂げる課題であり、
人生の主語を変える必要がある。
 
私、あなた、ではなく、
より上位として「わたしたち」という主語がある。
 
自立とは自己中心性からの脱却で、
「わたし」から「わたしたち」へ、
そして共同体全体に範囲を広げること。
これが共同体感覚なのだ。
 
 
 
与えられる愛の支配から抜け出すには?
 
自らの愛を持ち、
自らの意思で誰かを愛すること。
 
愛に飛び込む勇気がなくとも、
愛するとは何の保証もなく行動を起こすこと。
相手が自分のことをどう思っているかなど関係なく愛する。
 
劣等コンプレックス
 
→私は優れたところのない人間である
→自分のことを愛せない、尊敬できない、信頼できない
→愛の関係において傷つくに違いない、惨めな思いをするに違いない
→こんな自分を愛してくれる人などいない
→だから誰とも愛の関係を築くことができない
→確証がない愛には踏み出せない
 
厳しく言えば、
これらの自らの劣等感を、
課題を解決しない言い訳に使っているだけ。
 
 
課題の分離
 
愛することがわたしの課題だとすると、
相手が答えるかどうかは相手の課題で、
分離する必要がある。
 
無条件に愛してくれるのは両親だけで、
この黄金時代はもう終わった。
 
だから、
子供時代のライフスタイルは刷新しなければならない。
愛してくれる誰かが現れるのを待っていてはいけない。
 
 
運命の人はいない
 
ありもしない理想を抱えず、
可能性の中に生きず、
生きた人間と、目の前の人と関わろう。
 
愛するということは、
決意であり、決断であり、約束である。
わかりもしない将来ばかり考えず、
存在しえない運命も考えない。
ただ目の前のパートナーと「いま」をダンスすること。
 
 
 
 
なんでもない日々が試練
 
きっかけは最初の一歩。
試されるのは、歩み続けることの勇気。
 
 
 
何より大切なことは、
いま、ここを真剣に生きること!

 

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII