インドネシアで感じる違和感
出張に来ております。
スラウェシ震災対応のために。
今日は省庁が集まら、
復興計画を立てる会議に参加してきました。
いつも感じる違和感なのですが、
インドネシアの態度ってなんなの?
その1.
やってもらって当たり前感が過ぎる
あらゆる国際機関に融資してもらって当たり前。A銀行は○億提示してきたけど、おたくはいくら出せるんだい?
こんなやり取りが普通。
でも、これってちょっとおかしくないか?
確かに、災害対応や途上国開発のための融資は国際機関の大事な仕事だけど、市民の税金から成り立つ国家予算を使うわけで、それを出してもらって当たり前の態度は常に疑問を感じる。。
ただ、インドネシアにいると、まぁインドネシア人はこんなもんだよ、と普通の感覚になりそうだから、この違和感を書き留めておく。
その2.
オーナーシップが強く、主導権を取りたがるのに、結局何もやらない
インドネシアは国の成長とともにオーナーシップが強くなっているため、こちらからほいほい助けてあげるという姿勢は好まない。
まずは自分で取り組み、不足や助けを求められた時にこちらからアドバイスするという姿勢が基本になっている。
これはとても良いことだ。インドネシアの成長の証だと思うし、中進国入りを目前に控えたインドネシア、さらに先進国へと成長する国としては、オーナーシップが必須だ。
なのに、結局自分でやらない。
最初はやると言う、やる姿勢も見せる、
でも、結局、何も考えていないから、最終的に他の国に頼る。
だからやはり大切なのは、教育なんだなと思う。
もちろん、教育が行き届き、知識人が増えたからこそ、ここまで成長した。
でも、まだ差が激しい。
とりあえず、今日はここまで。
力量を超えていると感じる時
今週から10月いっぱいは、
重要なイベントが盛りだくさんで押しつぶされそう。
でも、同時に、乗り越えたら大きな成長の機会でもある。
出来ないことは自分の身に訪れない。
全てできる。
そして、完璧にやろうとしなくてもいい。
自分で自分を苦しめずに、
リラックスして楽しんでやろう!
道
映画「是是日好日」を見て、
「道」がつくものをしたいと思った。
一方で、茶道など、道がつくものは、
私は苦手なタイプだという気もする。
例えば、人が行うのを待つ時間や、
なんでこの動きがあるんだろう、
無駄な動きじゃないか、
といった考えが浮かんでしまう。
その瞬間を味わうのが苦手。
自分は感性に欠けているとも思う。
なんでなんだろう、と思っていたら、
こんな文章を見つけた。
(以下引用)
日本の「道」という発想から学ぶのは、技術ではなく、技術を通して、その裏にある「精神」、自然から学べる静かな心や精神状態、人間との関係をスムースに深くしていく心なのです。
ですから、そこには発展や進歩という概念はありません。
西洋の芸術が、つねに新しいものを求めて発展進歩をよしとするのと、ここで根本的に異なっているのです。
(引用終わり)
あぁ、なるほどな。
私は完璧に成長、進歩を求めている。
ずっとそうやって自分に課して生きてきた。
だから、この道の概念はしっくりこないんだ。
苦手だと感じるんだ。
他方で、
感性を磨きたいし、
苦手だけど必要なことなんじゃないかと思っている。