それでも、今日は無駄じゃない!

今日しか書けないことってあるんじゃないかなと思う。

月1 勉強会 「創造と狂気の歴史」

今日の本は、「創造と狂気の歴史」松本卓也著。

 

https://www.amazon.co.jp/ 創造と狂気の歴史-プラトンからドゥルーズまで- 講談社選書メチエ-松本-卓也/dp/4065150116

 


5時間ですが、結構あっという間に過ぎ去った濃い勉強会でした。

 

創造は狂気からうまれるというのは、 なんとなくわかる気がするかも。世の中でクレイジーと言われる人、世間をあっというものを生み出す人にはクレイジーさがつきもの。


ただ、そのクレイジー、狂気にも、プラトンの時代( 古代ギリシャ)から2種類あると考えられていた。 神的狂気と人間的な狂気から始まり、統合失調症中心主義は、 統合失調症患者が狂気と引き換えに、 他が生み出せないような創造を生み出すという思想がもてはやされ たのだ。


統合失調症は、近代的自我の出現とともに流布した症状。つまり、 自我が現れる前は、統合失調症に苦しむ人はいなかったのだ、 神の声を聞き、従いさえすればよかった。 有名なもので言えばムハンマドイスラム教)、キリスト( キリスト教)、モーセユダヤ教)のように。

 

自我を生み出すことで、自他という概念ができ、自分、 自己実現のよりどころとなる中心(これを「父の名」と呼び、 要は父的存在、実父でなくとも父的存在であれば良い) が必要となったのだ。しかし、それを探求する上で「父の名」( 父的存在)がいないことに気づいてしまうと、中心軸がない、 つまりその周辺に漂う概念が拠り所をなくしたことでバラバラに崩 壊する。 それでも父の名を探し求める声が幻聴となって自分に聞こえ出す、 幻覚が見え出す。これが統合失調症の始まりとなる。


私たちには、「父の名」となる父的存在が必要なのだ。 先ほど言ったように、昔はそれが神だった。ただ、 神の声を聞き入れればよかったものが、自我の確立により、 その時代には後戻りができなくなった。問題は、 盲信的に信じる神も宗教も一元的存在ではない、乱立した昨今、「 父の名」(父的存在)が見つけにくい、 迷い込みやすい世の中になっていること。それが、 私たちをよりセンシティブにし、 昔は問題とされていなかったアスペルガーHSP( ハイリーセンシティブパーソン)として、 現代に新たに現れ始めたのだ。


「父の名」(父的存在)を示すことは今後の大きな課題だし、 それができる芸術、アートができたら、世の中はどうなるだろう。 しかし、現状は、それに挑戦しようとしている人が少ないのだ。 そもそも、示すこと自体が難しい。

 

かつ、その示し用によっては、 誤った方向に導くことだってできてしまう。例えば、 ヒトラーのように。 そんな危うさを抱えていることも事実だと思う。